驢馬の独り言

ロバロバ日記

岩波文庫『読書について 他二篇』について

 この本は良書である。内容は『思索』『著作と文体』『読書について』の3本立て。

 内容を要約すれば、「読書の前に、自分の頭で考えろ!新刊を追いかけずに、評価の定まった古典的名著を読め!」と言えるであろう。成る程彼の主張には一理ある。年に2回の芥川・直木賞、奇抜な題名にセンセーショナルな謳い文句、これでは僕の様な素人はどれを受け入れるべきか混乱するばかり、金も暇もない一般読者にとっては大問題である。

 現在は芸能人のどーでもいいSNSでの発言や、素人の炎上騒動がネット記事になってしまう末法の世である。彼の手法はこの様な「吟味する価値もない情報を切り捨てる」と単純明快である。情報の取捨選択ができる知識人や、セミプロ読者なら兎も角、私の様な素人にはこれくらいラディカルに言い切ってくれたほうが印象に残るし、実行しやすい。

 他方彼の主張を全て鵜呑みにすると、アルトゥール印の色眼鏡を購入する羽目になる。すなわち彼のフィヒテシェリングヘーゲルへの常軌を逸した批判と学問的貴族主義である。

 ショーペンハウアーは私講師の時にヘーゲルへの当てつけから、彼の授業と敢えて被る時間に講義を行った。しかし結果は無惨なものであった。また彼は『余録と補遺』刊行以前は学者からも、大衆からも顧みられず、何のポストもない哲学者であったので哲学者として権威を持っていたヘーゲルと彼を受け入れた社会を憎悪していた側面がある。

 勿論ショーペンハウアーヘーゲルは(ショーペンハウアーにしてみれば)因縁の宿敵、相容れない思想家同士であるかもしれないが、それを抜きにしても彼の私的感情の吐露は酷いものがある。筆者が学生の頃初めて読んだ岩波文庫がこれであったから、「ヘーゲル達はクソ!」と彼等の著作を読んでもいないのに、イタい勘違いを抱いていた。もし周りに触れ回っていたら白眼視された事は間違いない。まあヘーゲルに挫折した人間としては、彼の主張には一理あると感じる点もあるが。

 要するに「著者のヘーゲル先輩への悪口は話半分に聴こうね」という話である。彼のヘーゲル批判有名税であることを忘れてはならない。『小論理学』で挫折した人間が言うのもなんだが、折角の知的遺産をいくつかの批判的コメントで読まないというのは勿体無い。

 第2に彼の学問的貴族主義である。ギリシャ・ローマ礼賛はまだいい。しかし

「出版業界と作家は我々読者から金をむしり取る事しか考えていない!」

「現代の作家の殆どはパンのための売文家だ!」

「出版から〇〇年絶っていない本は読まない!」

「権力者にアピールするための政策書はゴミ!」

「大手メディアはクソ!」等等

 彼の主張を鵜呑みにするとこの様な考えになってしまう。これではマキャベリや韓非等の著作をも切り捨ててしまう事になる。別に政治的発言をする訳では無いが、理由なく何事をも批評しないのは怠惰と言えるかもしれないが、余りに現状に批判的になっても一般庶民にとって良いことは少ないのではないか?何事にもその様な側面はあるものである。

 時の試練を乗り越えていない本にも良書はあるし、彼のような高等遊民なら兎も角、一般庶民である我々には最低限のニュースは必要であろう。ヘッセも彼と同様に新聞を読むなと書いていた様な気もするが、どうだったか。

 何事でもそうであるが、自分の考え無しに受容してはならないのである。過去の私の様に信者になってしまう危険性がある。勿論今でも彼は好きな哲学者の一人ではあるが。

 これらの点を考慮して読むのであれば、情報社会に生き、埋もれている現代人にとって大変有益な本と言えよう。一食抜いてでもオススメする。